ステンドグラスの歴史 【世界編】- その起源から近代までの変遷

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起源 - ガラスの誕生:紀元前

ガラスの起源は、紀元前数千年、古代メソポタミアやエジプトであると言われている。


そこでガラスが、たき火の熱で偶然砂と岩塩が反応して透明な液体となって溶け出し、それが固って誕生したのではないか、と言い伝えられている。

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その後、紀元前1500年頃になると、粘土で型をつくり、溶かしたガラスを押しつけて成型する「型押し法」や、芯を作り液体のガラスを巻き付ける「巻芯法(コアテクニック)」などの製造技術が確立される。これによりガラス器の普及は進んだが、一個一個、型をつくって成型するため、もちろん大量生産は不可能。生活用品というよりは、とても高価な装飾品だったに違いない。


紀元前30年頃から紀元4世紀までのローマ帝国時代には、「吹きガラス技法」という革命的な新しい製造技術が発明された。これは、鉄パイプの先に溶かしたガラスを水飴のように巻き取り、息を吹き込んで風船のようにふくらませて成型する方法で、21世紀の現在もなお世界中で受け継がれている基本的なガラス製造技法だ。これによって、球形や円筒状までさまざまな形や大きさのものがつくれるようになり、ローマン・グラスと呼ばれる独特のガラス工芸が花開したのであった。またこの頃はじめて、ガラスの窓が誕生した。


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吹きガラスの普及に伴い、1世紀末には不透明なガラスに代わり透明なものが好んで使われるようになった。


そうして、ガラスの持つ透過性・透明性が、その美しさにおいても実用性においても定着しはじめたのだ。





創成期:ステンドグラスの誕生: 9世紀~

ステンドグラスの起源を、一つの時代や一つの場所として明確にすることはできない。それは、納得のいく説明がつく歴史的証拠が発見されていないからである。今のところ、そこは空白のままで、豊かな想像力で補うほかはない。ただ、ステンドグラスは、キリスト教が有史に登場するまで存在しなかった。つまり、ステンドグラスは、キリスト教的芸術であると言える。


板状のガラス、つまり窓用のシートガラスと言われるものが安定して作られ始めたのは 西暦400年ごろと言われている。


そして、ここではじめてステンドグラスというものが5世紀のフランスの文献に出てくる。つまり、板ガラスが作られはじめてすぐにステンドグラス も作れらるようになった、という訳だ。ステンドグラスは今では1500年以上もの歴史があるということになる。


現存するステンドグラスの正真正銘のプロトタイプといえるのは、9世紀にドイツのロルシュ修道院跡から発掘された、キリストの頭部と見られているガラス片だ。


これは現在では完全な形では存在していないため、「断片としては最古」のステンドグラスと言える。


また、ロマネスク時代の作例として、アルザス北部ヴィッサンブールのサンピエール・エ・サンポール教会から出土し、現在、ストラスブールのノートルダム美術館に展示されている「キリストの頭部」や、ドイツ、アウグスブルグの「5人の預言者」が残っている。これらが、現存する完全なパネルとしては最も古いものと言える。これらは十分な技術と様式をもって作られており、かなり以前からステンドグラスというものが存在していたことを示している。

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ヴィッサンブール出土「キリストの頭部」

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アウグスブルグ「5人の預言者」


この頃のステンドグラスは宗教的な意味合いが深く、字の読めない人々のために神の教えの物語を表すために作られ、はめ込まれた。これらは、専門の職人というより、囚人が作ったという説が有力だ。


そして、実はこの頃から、現代でも主流であるステンドグラスの基本形、H型の鉛のレールでガラス同士を組み合わせる基本的な技法が、既に確立されていたのである。





成熟期 - ゴシック建築とともに: 11世紀~15世紀

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11世紀頃から始まったステンドグラスの黄金期とも言えるこの時代には、各地でさまざまなステンドグラスが作られ、現在では世界遺産になっているものも数多い。


そして12世紀に入ると、建築の技術が発展し、より高くエレガントで窓の大きい建築物(教会や大聖堂)の実現が可能となった。


これらはゴシック建築と呼ばれ、建物の高さを強調するための先の尖ったアーチ(尖頭アーチ)や、大量の光を取り入れるための大きな窓、柱を細くして堂内の空間を広く開けるための、外壁にせり出した建物を外側から支えるアーチや柱などが特徴だ。



なお、ゴシック (Gothic) とは、12世紀から15世紀にかけて、パリを中心とするフランスを発端にヨーロッパ各地に影響を与えた美術様式のことで、ゴート族の、野蛮な、という意味であり、もとはルネサンス期の美術家が侮蔑の意味で中世の美術を呼ぶために使われた言葉である。


また、この頃には金属(鉛)やガラス産業の発展も相まって、ステンドグラス芸術も大きく飛躍していくことになる。


13世紀には、現代でも有名なステンドグラスを持つ建造物が次々に造られている。代表的なものとして、『シャルトルブルー』で有名なフランス・シャルトルのノートルダム大聖堂、イギリスのカンタベリー大聖堂などが挙げられる。これらは、以前のものと比べて、より細かくより装飾的になっている。


14世紀には、シルバーステインと呼ばれる、現在もガラスの絵付けに使われる重要な技法が生まれた。これは、その名の通り銀を原料とする絵付け顔料を使った技法で、ガラスへの塗布・焼成により黄金色の輝きを持たせることができるようになった。

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15世紀に入るとゴシック建築が更に発展し、教会や大聖堂の窓は、複雑な曲線によってより細かくより装飾的にデザインされるようになる。これらのデザインは炎のような激しい印象を与えることから、フランボワイヤン様式と言われている。


そして15世紀後半には、被せガラス(きせガラス。透明地のガラスの表面に濃い色ガラスの薄い膜が被せられた2層になったガラス。フラッシュガラスとも呼ばれている。)にエッチングを施して絵柄を表現する技法が開発されるようになり、より複雑な表現が可能となったのだ。

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そんな表現手法の進歩の一方で、次第に強まる同時代の絵画の写実主義の影響を受け、よりデザインが写実的になっていった。そんな流れは、特に、ヤン・ファン・エイクに代表されるフランドル絵画の影響が大きいと言われている。技術的には、エナメルの着色材料の発達が、より写実主義に拍車を掛けることとなった。


これにより、ステンドグラスはガラス特有の「透明感」という本来の魅力を失い、衰退への道をたどることになるのだった。





衰退期 - デカダンス: 16~18世紀

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この時代のステンドグラス作家は、絵画の写実主義と遠近法などの3次元的空間表現を模倣しようと試行錯誤をしたが、成功したとは言えなかった。


それは、ステンドグラスが光の透過性に依存する、つまり絵画とは根本的に異なることを意味しており、作家がこれをきちんと認識していなかったことが、業界の地盤沈下を招いたとも言える。


写実的表現になったステンドグラスにおいて、鉛線は「必要悪」となってしまった。ステンドグラス史上最悪の時代だ。要するに、ステンドグラスでは油絵のような細部の正確な描写を行うことはできないのだ。それは、言うまでもなく、キャンバスへの描写とガラスへの描写の違いによるものである。


この、ステンドグラスの冬とも言える時代に、技術的進歩やテクニックなどの発展は、大いに滞ってしまったのだった。


また16世紀・17世紀は、宗教改革の名の元に、ステンドグラスの傑作が生み出されるより、破壊される方がはるかに多い時代でもあった。戦争や偶像破壊運動や暴虐や無関心によって破壊され、そして「修復」と称して逆に駄目にされてしまうことも珍しくはなかった。それにより、実はゴシック時代のステンドグラスは、そのほとんどが消失しており、現代に残っているのはごく一部なのだ。


そして、この時代の粗悪品の多さも、ステンドグラスの衰退に拍車を掛けていった。


ステンドグラス芸術の本質は、鉛線の間に色ガラスのピースを用いることによるデザインの創造である。それが、ガラスピースの大きさが増大し鉛線が尊重されなくなり、絵画を模倣するようになって、その本質が失われてしまったのだ。


衰退と技法の関係という観点で考えると、14世紀のシルバーステインの導入はそれほど影響しなかったが、16世紀後半のエナメル塗料の乱用が、衰退に拍車をかけたとは言えるかもしれない。


こうしてステンドグラス芸術は、16世紀にゆっくりとルネサンスに毒されて、ついに宗教改革によってその背後を刺し貫かれたのであった。





復興期 - アーツ・アンド・クラフツ運動、アールヌーボー、そしてゴシック・リヴァイヴァル: 19世紀

17、18世紀は破壊の時代であったが、19世紀に入り、次第にステンドグラス復興の兆しが現れてきた。


先ず、原材料であるガラスの質が改良され、向上した。これにより、作家たちはエナメル塗料に過度に頼る必要がなくなったのだ。


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イギリスでは、ヴィクトリア朝の時代に産業革命の結果として、大量生産による安価で粗悪な商品があふれていた。そんな状況を、ラファエル前派の思想を受け継いだ、かのウィリアム・モリスは嘆き、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張したのだ。


そして彼はモリス商会を設立し、装飾された書籍や、ステンドグラスを含むインテリア製品を次々に製作していった。鉛線をデザインの一要素とみなす正統な態度などを含め、ウィリアム・モリスたちは、ステンドグラスの特質と透明性を回復していったのだ。



この、生活と芸術を一致させようとしたモリスの思想と実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は各国にも大きな刺激を与え、アール・ヌーヴォーにも大きな影響を与えた。


ラファエル前派とアーツ・アンド・クラフツ運動、そしてアール・ヌーボーに加え、この時代にはゴシック・リヴァイヴァル(ネオ・ゴシック)と呼ばれるゴシック建築の復興運動も興り、ステンドグラスに新しい生命の息吹が吹き込まれたのであった。


そんな各方面からの努力の結果、ステンドグラスは、諸芸術の中で再び重要な位置を占めるに至ったのである。

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ジョン・エヴァレット・ミレー作「マリアナ」





ティファニー登場 - 19世紀末

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18~19世紀に活躍した、稀代の天才時計技師、アブラアム=ルイ・ブレゲは、重力の影響によりゼンマイ時計が狂うのを防ぐトゥールビヨン機構、暗闇でも音で時を知らせるミニッツリピーター、 永久カレンダーなど様々な革新的技術を生み出し、時計の歴史を200年早めたとも言われている。


そして19世紀末にも、ステンドグラスの歴史を飛躍的に進めたのかもしれない、と言われる人物が登場する。


その名はルイス・コンフォート・ティファニー。そう、かの宝石商として有名なティファニー家の2代目に当たる人物である。彼は家業を継がず、画家としてキャリアをスタートした後に室内装飾家となり、自身の編み出した技法により、ガラス芸術家として輝かしい功績を残しているのだ。


ティファニーテクニックと呼ばれるその技法は、これまでのガラスを鉛線で繋ぐ技法とは違い、ガラス片に胴のテープ(コパーテープ)を巻き、ガラスとガラスをハンダ付けで繋げるという革新的なものだ。これにより、今まで平面でしか表現されなかったステンドグラスを彫刻のような立体造形に変え、また、今まではありえなかった、絵画のように繊細な表現を可能にしたのであった。


彼はまた、世に既にあるガラスでは満足できず、自身で「オパールセントグラス」という、半透明で今までとは全く違った種類のガラスを創り出す、という功績も残した。オパールセントグラスは、これまでのトランスペアレント(透明)グラスと違って光をガラス面全体で拡散するため、これまでとは趣の異なる効果をガラスに与えたのだった。

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彼のガラス工房には、5000種、300トンものガラスが常備されていたといわれている。 ティファニーは大きなステンドグラスを制作する際に余ったガラス片(カレット)を、ランプシェードの細かい模様に有効活用し、成功したのであった。


それらは、「ティファニーランプ」と呼ばれ、彼の繊細なデザインと、職人たちによるハイクオリティーな仕上がりで、あまりにも有名である。


晩年ティファニーは、エキセントリックになり過ぎて大衆の好みに合わなくなっていき、そして没後は殆ど世の中から忘れ去られてしまった。


しかし1950年代ごろから徐々に思い出され、それから彼の作品の模倣が流行り再び評価が上がっていき、そして現在の非常に高い知名度と評価は、誰もが知るところである。






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日本ステンドグラスの夜明け - 19世紀末

日本に登場した初めてのステンドグラスは、文明開化の頃、19世紀末にフランスから長崎の大浦天主堂に寄贈された「十字架のキリスト」だと言われている。


この頃、明治政府は外国からの様々な文化人・技術者を積極的に招き入れていた。世界的にも、中世の衰退期を経てステンドグラスが再び見直されていた時期と重なったことから、招待された外国人たちは、一緒に沢山のステンドグラスや色ガラスを持ち込んだのだった。


そして明治時代は、制度や習慣が大きく変化し、西洋の技術を次々と導入していったまさに文明開化の時期。ステンドグラスも輸入品に頼ることなく、日本人の手で作ろうとする動きが現れたのは、ごく自然なことだった。


宇野澤辰雄は、明治政府によりガラス技術の習得を目的としてドイツへの留学を命じられ、3年間みっちりとステンドグラス技法およびエッチングを学び、それを日本へと持ち帰った。初めての制作は1894年竣工の東京府庁舎の天井の明り取り。これが日本人によって作られたステンドグラスの第一号である。


その後数点の作品を残し、辰雄は異業種に移ってしまうが、彼の志を引き継いだ養父の宇野澤辰美たちが工房を開き、日本におけるステンドグラスの礎がしっかりと出来上がっていった。それは現代でもはっきりと残るものである。


そして、もう一人のパイオニアである小川三知は、日本画教師として渡ったアメリカでの11年に及ぶ日々の中で、アメリカ式のステンドグラス技法を習得し、帰国後に数々の名作を生み出していった。

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技術者・職人であった宇野澤辰雄とは違い、三知は、アーチストと呼べる日本初のステンドグラス作家と言える。




現代 - 市民の贅沢品、工芸とアートの狭間で: 20世~

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ティファニーによるオパールセントグラスの開発によって、17・18世紀のエナメル画法によるものと同じく、ガラスの透明性は損なわれたが、それがステンドグラスの衰退に繋がる事はもはやなかった。


これは、ステンドグラスが、色ガラスと鉛線の線によるデザイン創作という基本的技法へ復帰したことの証なのかもしれない。


1900年頃からは、ステンドグラスが個人住宅などの建築物にも登場しはじめた。住宅以外にも、公共建築物や産業建築物にも取り入れられ、階段の吹き抜けや、看板、ドーム、天井などにステンドグラスが取り付けられはじめたのだった。

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ケネセス・イスラエル集会所(アメリカ)

第1次世界大戦時には、一時生産がストップしたが、1920年頃からは急速に復活していった。


20世紀になると、大量生産・画一的な商品に物足りなくなった人々が、手作りの商品を求めるようになった。それも、ステンドグラス普及の一要因かもしれない。


一方では、マティス、ブラック、レジェなどの有名な画家が、ステンドグラスの伝統的な意味で宗教芸術でない教会堂の窓を創り出した。それは、まぎれもない自己主張する芸術作品であった。


そして、ヨーロッパ・アメリカでは、現在進行形で数々の実験的なアプローチも行われいる。


ステンドグラスは、基本的に建築に依存した芸術である。ロマネスク建築がゴシック建築に移行した際に栄え、バロックやロココの過剰な装飾の中には登場する余地があまりなかった。


そして鉄骨とコンクリートをベースにした20世紀の建築では、それに合ったエキサイティングで非凡で美しいものが、数多く作られている。



ステンドグラスは、その芸術性と工業性が認められ、現代では立派に市民権を得ていると言える。



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聖ヴィート大聖堂(チェコ) アルフォンス・ミュシャ作



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コヴェントリー大聖堂(イギリス)



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ロザリオ礼拝堂(フランス) アンリ・マティス作


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カイザー・ヴィルヘルム記念教会(ドイツ)






こうして有史の中でのステンドグラスの位置付けを見ていくのも、中々面白いものだ。特に、中世に栄えたステンドグラスが、その後写実的になりすぎ、飽きられ衰退していったところなどは、非常に興味深いところである。


ステンドグラスには、ステンドグラスならではの、分相応の表現方法がある、と言うことなのだろう。


近々、日本編もやる予定である。乞うご期待。



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