晩香廬(ばんこうろ)は、渋沢栄一という、日本資本主義の父と言われる人物が所有した建築物の一つ。大正の初期に建てられ、100年の歴史を持つ。国指定の重要文化財。
ここのステンドグラスは、日本のステンドグラス―宇野澤辰雄の世界という、ステンドグラス工房ならどこにでも1冊くらいは置いてある本の表紙に載っており、そこそこ有名と言える。ただ、ステンド事体は知っていたが、何処に入っているかは、最近まで知らなかった。
巷で紹介されるステンドは、駅や教会にあるような派手なものが多く、なかなか渋いものは紹介されない。また、晩香廬は内部が一般的には撮影NGということで、Webでも殆ど写真が出てこないのも、あまり知られていない要因の一つかもしれない。
晩香廬(ばんこうろ)の名の由来は「バンガロー」説、「自作の漢詩、菊花晩節香」説、「実父の雅号である晩香」説など、諸説ある。
山小屋のような、一見こじんまりとした質素な建物だが、良く見ると随所にこだわりが見られる。
この日の気温は1℃。小雪が舞う平日の午前という事もあり、訪れる人は少ない。ゆっくりと鑑賞できる。
ハート型の意匠。調度品のさり気ない部分にもこだわりが見られる。
さり気なく入る鶴の意匠。晩香廬は、栄一への喜寿の祝いに贈られたものである。
暖炉を挟んで両側にステンドが計4枚入っている。
目立たない場所だが、こちらにもステンドが。中は収納になっているようだ。
屋外から見たところ。
手洗所は、トイレ側と玄関側に2枚のステンドが入っているが、若干デザインが違う。
こちらはトイレ側のステンド。
パテは特殊なものを使っているようだ。シリコンのようにテカって見える。
こちらが玄関側のステンド
全面ハンダの様子が良く分かる一枚。
ハンダと言うのは、ステンドグラスの線の継ぎ目を溶接する作業で、普通は溶接する必要のある接点だけがハンダ付けされる。
だがこのパネルは、接点だけでなく、鉛の線の上すべてにハンダを流す「全面ハンダ」という日本独自の技法が使われている。ちなみに、晩香廬・青淵文庫のステンドグラスは全て全面ハンダである。
本の表紙になっているのは、この玄関側のステンドだろう。玄関側から光が当たった状態で、手洗所側から斜めに撮影したと思われる。このステンドを本の表紙にした人はセンスがあると思う。洗練された上品さで、隙がない。
このガラスはハンマードだが、アンティークのガラスでも良く似合いそうだ。当時は手に入らなかったと思われるが。
戸棚のガラスに映る像が歪んでいるのは、フロートではない証。
玄関と控室の間にあるステンド。
格子のステンドは良く見るとアールがかかっている。ステンドを曲げるのは容易だが、外枠の木まで曲がっているのは凄い気がする。
ここのステンドグラスは、オリジナルの制作は宇野澤組ステンドグラス製作所が行ったのではないかとされている。
デザインを誰が行ったかは不明だが、洗練された意匠から考えるに、宇野澤組のステンドグラス職人だけの手ではなく、それ相応なデザイナーが絡んでいたと思われる。ちなみに、小川三知がデザインや制作に関わった可能性も、なくはない。当時の記録に、飛鳥山(昔の晩香廬周辺の地名)の渋沢邸のステンド制作に関わった旨が記されているからだ。
しかし、素材として貝殻や擦りガラスを使った作り、制作が行い辛いであろう鉛線のラインから考察するに、ステンドグラスの制作者以外の人物がデザインしたのではないかと思う。
ステンドを作る者であれば、例えば上のステンドなどは、強度や作り易さを考慮して先ずは縦か横に一本線を通してしまいたくなるだろうし、下のステンドなどは、切り辛い形のピースやえぐりが多いピースは、無意識に避けてしまう気がする。それをせず、デザイン・ファーストが貫かれている点が素晴らしい。
この建物の設計・意匠を担当したのは、田辺淳吉という、当時の清水組(現清水建設)の技師である。もし、芸術家肌の建築家として知られ、アーツアンドクラフツ運動の影響を受けたと言われる彼がメインでステンドデザインを行ったとしたら、十分に説得力があると思う。
少なくとも、建物全体の随所にこだわりが見られ、和洋折衷・混然一体となったその様から、ステンドの意匠にも田辺淳吉の意向が大きく反映しているのは、間違いのないところであろう。
パネルは、1998年に、全てが松本ステンドグラスさんの手で組み直されている。ガラスは基本的に当時のものが使われているが、ケイムが全て新しいものに変わっていた。その作りは非常に良い。ケイムの乱れがなく差し込みが綺麗で、適度に盛られた全面ハンダが美しい。
もう少し具体的にパネルの意匠をみていく。
談話室のパネルは、淡貝(淡水の貝、いわゆるカラスガイ)と擦りガラスの2種のみが使われており、ステンドグラス用のガラスが一切使われていないのが面白い。
淡貝はもちろんそうだが、擦りガラスを使ったステンドというのは、不思議と全く存在しない。少なくとも私は思い浮かばない。汚れに弱く、パテの除去が難しいのがその理由な気がする。また、現代であれば、オパック系のアンティークガラスで同様の柔らかいテイストが出せるので、擦りガラスを敢えて使うことがない、というのも言える。
貝殻を使うということは、幾ら大きなカラスガイだとしても、ピースの大きさに制限が出る。それを逆手に取り、上下左右の帯で使われているピースの形状をランダムにしている点が、このパネルの一番好きなところだ。
帯の内部は上下左右にシンメトリー&リピテーション(繰り返し)という良くあるデザインにも拘わらず、帯をランダムにすることにより、理想的な亜シンメトリーを作り出している。これを、良くあるパネルのように、帯もシンメトリーでありきたりのデザインにしていれば、魅力は半減していただろう。
また、貝殻は天然の素材なだけあり、人工物であるガラスと違って趣があり、それもこのパネルの魅力の一つだ。
手洗所・控室のパネルは、シンプルながら練られた痕跡のある意匠で、センスの良さ、思い切りの良さを感じる。ステンドグラスのデザインをしたことがある人なら分かるかもしれないが、このデザインは中々描けない。
白・透明のバックに対して黄と緑の楕円が並ぶシンプルなデザインだが、粗密のバランスが良いため、退屈さを感じない。これでもし楕円が大きかったりすべて同じ大きさだったりすれば、途端にその趣は失われるだろう。
また、日を受けることが少ない建物内部のステンドであることを考慮してか、半透明で表情豊かなガラスが使われており、光量の少なさを補っている。こういった瑞々しいガラスは、光が少ない状況でもガラスらしさを存分に発揮でき、見る時々の光の具合、角度によって、一期一会の表情を見せてくれる。
この晩香廬、施主である渋沢栄一、設計者である田辺淳吉、そのどちらの意向が強く反映した建物なのだろうか。シンプルでありながらも手の行き届いた、密度の濃い空間で、決して凡庸に収まらないぞ、というような気概を感じとることが出来た。