日本資本主義の父と言われる渋沢栄一がかつて所有した建築物。青淵(せいえん)は栄一の雅号からきており、文庫(ぶんこ)は書庫を意味する。書庫と閲覧室からなる2階建ての建物。
晩香廬と同じ敷地内、すぐ隣あるのがこの青淵文庫(せいえんぶんこ)だ。晩香廬もそうだが、ネーミングセンスが秀逸だ。
この建物についても、晩香廬と同様、ステンドグラスも含めて少し前まで全く知らなかった。きっかけは、知り合いの小川三知に詳しい方から、ここのステンドは小川三知がデザインしたものの可能性がある、という話を聞いたことによる。
そんなことも頭の片隅に置きながら、ステンドグラスを見ていこう。
こちらは晩香廬と違って大きな建物で、入ると1階にはステンドがある閲覧室以外に、幾つか部屋がある。肝心の書庫は2階だ。
閲覧室に入ると、いきなり正面にシャンデリアとステンドが現れ、圧倒される。
ガラスのピース数は、こちらが約1000。
こっちは約800程。
ステンドと陶板のタイルが上手く調和している。
ガラスは、ココモ、ウィズマークのオパールセントグラスがメインで使われており、一部、竜の目などにはキャセドラルグラスが使われている。
ケイムはFHの4/5/8/15mmがが使われている。この大きさのパネルで4mmのケイムが使われることは、あまりない。
また、以前に見たことがある旧川上貞奴邸のステンドと同じようなガラスが使われていることに気が付いた。同じ時期に作られ、また制作した工房も同じ宇野澤系であることから、何か繋がりがあるのかもしれない。
表へまわって、今度はこちら側から。
表側から見るとケイムのテイストが良く分かる。全面ハンダがやや薄めに施されており、金属の補強がしっかりと、ケイムと同一線上に取り付けられている。また、ケイムの処理にもこだわりが見られる。
晩香廬もそうだが、合わせガラスが使われておらず、ステンドグラスが外気に直に当たっている。最近の新しい建物では考えられないが、やはりこの方がステンドの魅力が発揮されるなと思う。
階段を上って書庫へ向かう。さて、一体どんな本が所蔵されているのだろうか。
...書庫なのに本がないのは、収蔵予定の本が関東大震災で燃えてしまったからだそう。
今回のステンドグラスも晩香廬と同じく宇野澤組ステンドグラス製作所だと言われている。そして、このステンドは、晩香廬と違って、基本的に創建当時のままで残されている。
資料によると、大竹ステンドが2002年に補修を行ったとの記録があるが、クリーニングとハンダの補強が主であり、組み直されてはいなかった。
この青淵文庫を見て真っ先に思ったのは、建物の主役、「顔」としてステンドグラスが使われている!という点である。一般の目にどう映るかは定かでないが、少なくともステンドグラスを作る側からすれば、この建物はそのように見える。
多くの建物では、ステンドグラスは建材の一部、脇役・引き立て役、添え物に甘んじているが、ここではメインとし扱われている。教会以外でそういった建物には中々お目に掛かれない。
デザインの特徴として、単純な線を用いないことにより奥深さを出しているのと、こまめにケイムの太さを変えることによりメリハリが出ていること、が挙げられる。
特に線にこだわりが見られる箇所は、パネル上下の一番外側にある唐草模様のような図柄が描かれている箇所で、口では説明が難しいが、兎に角、線が凝っている。
また、一見するとシンメトリーのように見えるが、パネルの左右の帯は登り竜と下り竜、上下の帯でも適度に左右のデザインを変えている。帯より内側のデザインも、中央のシンボルも含めて全て左右の柄が違っており、細かなこだわりが見られる。ちなみに、良く見ると帯より内側は、左上が右下と同一、左下が右上と同一になっている。
中央の図柄は「壽(ことぶき)」と柏の葉を組み合わせた意匠だが、壽などは直ぐにそれと分かるようにはせず、敢えて複雑に紛れ込ませている点が良い。くっきり・はっきりさせない、わざとぼやかす、それによって生まれる奥ゆかしさと艶。
色味については、これだけ多彩な色を使っているにもかかわらず、下品にならず上手くまとまって見える。トーンが同じ感じの、モロに原色ではなく渋く抑えられた色味で、それが全体にバランス良く使われているのと、パネル全体で色の粗密(カラー・モノクロ)のバランスが良いのがその要因なのではないか。
透明度の違う色ガラスの組み合わせで、多様性と深みを出しているのも大きな特徴で、竜の目にだけキャセを使って金色に輝かせているのが最も分かり易い部分だが、それ以外にも、パネル上下の赤地に青い唐草模様が描かれている箇所では、透明度の違う青いガラスを上手く使い分け、大きく変化を出している。
それ以外にも随所でガラスの色味や透明度を利用して趣や深さを演出しており、当時のガラスの種類も限られていただろう状況を加味すると、パネル全体を通じて、ガラスのチョイスが本当に素晴らしいし、センスがあると思う。
あとは、建物自体もステンドと同じような意匠の陶板タイルが使われており、お互いがお互いを引き立てあって、高い次元で調和が生じている。
他には、建物の外から見ると分かるが、ステンドのある部分が建物の内側に奥まっている。そのためパネルの上部が影になり、日の当たり方が均一にならずグラデーションになっているのも大きな特徴だ。これにより、ガラスの輝き方が上と下で大きく違い、一層、立体感・奥深さを感じさせている。
また、特筆すべき点としては、その補強のされ方がある。
建物の内側からは、先ず縦横の帯に、そして格子状の白いガラスと色ガラスの間に、金属でしっかり補強が入っている。特に、曲線でしっかりとケイムの上にだけ施された補強は見事だ。真鍮製だと思われるが、この複雑な曲線上にしっかり真鍮を曲げて這わせるのは至難の業、しかも上下左右対称となれば、少しの乱れが直ぐに目立ってしまう。
加えて、建物の外側からは、縦横の帯に加えて、パネルの中央の小円とそこから出る十字のラインに太い金属の補強が入っている。これだけ補強が綺麗かつ堅牢に入っているステンドは、見たことがない。
この建物も、晩香廬と同じ田辺淳吉が設計を行った。彼は47歳という若さで亡くなっているのだが、もっと長生きされていれば、ステンドを使った建物をもっと多く遺しただろうと考えると、惜しかったな、と思う。彼が設計した他の建物を見ても、ステンドが積極的に入れられている。貴重な存在だ。
最後に、小川三知との関わりについて、
この青淵文庫のステンド、小川三知が作った、新宿にある小笠原伯爵邸のステンドに、デザイン的に通ずるものがなくもないな、と思う。三知がデザインに関わった可能性は、0ではない。
しかし、制作は小川三知ではない、間違いなく。小川三知は、技術的にはこんなに上手ではないからだ。そこだけは、はっきりと言える。
東京でどのステンドを見に行ったら良いかと聞かれたら、真っ先にココを挙げたい。聞かれたこと一度もないけれど...。ここ以外でのオススメは、東博、聖路加国際病院などだろうか。
渋沢家ゆかりの建物でステンドグラスが入っているものとして、もう一つ、誠之堂(せいしどう)というのが埼玉県深谷市にあるらしい。これも、田辺淳吉の設計したものだそう。機会があればそちらも是非訪問してみたいと思う。