全国的にも有名な歴史的建造物で、シンボルである高さ約36メートルの時計塔は「ジャックの塔」の愛称で親しまれている。神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜税関本関庁舎(クイーンの塔)とともに「横浜三塔」の一つ。
ここには、規模も大きく歴史的な価値のあるステンドグラスが何枚か入っている。
横浜開港50周年を記念し、「開港記念横浜会館」として市民の寄付金により大正6(1917)年に創建されたこの建物。大正12(1923)年の関東大震災時に全焼したが、1927年(昭和2年)に初期の建築を復元した状態で再建された。
昭和34(1959)年からは「横浜市開港記念会館」の名称で公会堂として利用されており、自由に見学ができる施設として、親しまれている。
そびえ立つ時計台が凛々しく、かなり格好良い建物である。当然のこととして、国の重要文化財に指定されている。
先ず、階段を上がった2階の広間に、大きなステンドグラスが入っている。
開港当時の交通に関する様子を表現しているそうで、左:「呉越同舟」、右:「箱根越え」と名付けられている。中央は「鳳凰」で、この鳳凰だけは関東大震災での焼失後の復旧時にこのデザインになったとのこと。オリジナルはどうだったのだろうか。
ステンドグラスが主役級の扱いがされているのが何とも嬉しいところだ。
「呉越同舟」
ガラスが綺麗で、使い方も上手だ。
「箱根越え」
修復が何度も入っていることから、ガラスは、当時のモノと、現代のモノが混在しているように見える。絵柄の外側にあるクリアのガラスは割れの修復跡があるので、当時のモノのようだ。
裏側の様子。
全面ハンダが施されている。
金属の棒を針金で止めるという古風な方法で補強が入れられている。昔見た名古屋市市政資料館のステンドも、同じ方法だった。
ここは全面ハンダの盛りが多い。上のと比べると良く分かる。恐らく、それぞれを別の方がやったのだろう。
ここの全面ハンダなんかはかなり薄め。
「鳳凰」
裏側から。
修復される前の、オリジナルの顔が保存されている。
こちらは修復前の鉛桟と補強棒。
昭和2年(1927年)竣工時の鉛桟。
奥の大きなステンドグラス。いや、このようなものはあまりステンドグラスとは呼ばないかもしれないが・・・。職員の方は、ステンドグラスではなくバラ窓だと仰っていたが、その呼び方もどうなのだろう・・・。
2008年にステンドグラスが改修された際のパネルが展示されていた。
いわゆる幕末の始まりである、ペリー提督による浦賀沖への黒船来航は1953年。
その時は四隻の艦隊を率いてやって来たが、ペリーは翌1954年にも、今度は横浜沖に、九隻もの艦隊を率いて再来航している。その九隻のうちの一つが、このステンドグラスのモチーフになっているポーハタン 号(USS Pawhatan)だ。
デザインは、「呉越同舟」や「箱根越え」と似ていると言えば似ているので、同じ方によるものかもしれない。
このポーハタン号も、関東大震災で焼失した後、昭和初期に忠実に再現されたものである。その後、1979年に修復を行ったとの記録がある。
写真では良く分からないが、空と海はガラスの透明度が高く、表面のテクスチャによりキラキラと輝いている。逆に富士山は、透明度が低い乳白色がのガラスが使われている。この「差」により遠近感が強調されて、平面でありながら奥行きを感じることができる。
ある特定の時間にだけ、特定の箇所が猛烈な輝きを放つのも、ステンドグラスの魅力の一つだ。
全面ハンダが施されている。広間のステンドもそうだが、全面ハンダはいつ頃から行われるようになったのだろうか。宇野澤組のステンドは、部分ハンダと全面ハンダの両方のものが存在する。
青緑のリップルのようなガラスは、今はないガラスである、明らかに。
ある特定の時間にだけ、特定の箇所が猛烈な輝きを放つのも、ステンドグラスの魅力の一つだ。このパネルは、太陽がパネルの反対側にある、いわゆる逆光の時に猛烈な魅力を発揮する。その際の鑑賞する場所は、階段の下付近がベストだ。
1階からの眺め。
階段の上から。仮に階段の下で見て猛烈な輝きを放っているように見えても、階段の上から見ると普通だったりする。それがまた面白い。
この建物は、煉瓦の色が非常に良い感じなの。まだらな感じがたまらない。
良い眺めだ。階段の踊り場にあるステンドグラスは、下からも上からも様々な方向から見られるのが良い。
デカいです。大きいは正義。
ジャックの党(時計台)へと続く螺旋階段。普段は登れないが、年に一度だけ登れるのだそう。
2階広間のステンドグラス、左右のは、デザインは良くある感じだが、光の透過が絶妙なガラスが多く使われており、日に当たるとキラキラとステンドグラス「らしさ」を存分に発揮してくれる。緑・青系の色をメインに使いながらも、抑えるところはダーク系のガラスで抑えており、それにより一層輝きが強調された、メリハリのあるガラス使いが素敵だ。
左のステンドは、無理のないガラスの割り=ケイムの線が、良い。全体の統一感もあり、安心して見ていられる感がある。右のステンドは、同じ人がデザインした!?とは思えない、違和感のある線が下の方に多用されているが、何なのだろうか。。。
そして中央の鳳凰。これがまた良い。左右にある大きな緑系のステンドに対して、このパネルはその補色である「赤」がメインで使われているため、対比が美しく、この場にとても調和している。そして、ほぼシンメトリーだが、中央の横浜市の市章「ハマ菱」や鳳凰、ガラスの色味は完全なシンメトリーではなく、亜シンメトリーになっている。その上で、鳳凰の滑らかで流れるような、勢いがあって迷いのない線が良い。
ガラスの色使いも、濃淡・粗密のメリハリがきちんと出来ているので、主役である鳳凰が際立ち、それでいて同じ赤や白でもその中で微妙に色味が違うため、深みのある奥深い印象を見る者に与えている。
この3枚のステンド、3枚揃ってドーンなのがまた良い。左右は緩やかなステンドで真ん中はキリッとしていて、お互いを引き立てあっていると言うか。もし1枚ずつだったら、ここまでインパクトはなかったのではないか。更に言うと、扉の奥にある、外に面したクリアのステンドとも上手く調和してると思う。
この3枚は、大正6(1917)年の創建時にオリジナルが制作され、大正12(1923)年の関東大震災により焼失。その後、昭和2(1927)年に復旧されたものなのだそう。館内にある説明書きの記述によると、オリジナルの制作者は不明で、復旧は宇野澤組ステインドグラス製作所が行ったそうだ。
オリジナルの制作者が不明と言うのも、時代的な混乱を表しており面白いところだ。まあ、恐らくオリジナルも、宇野澤組か、関連する工房が作ったのではないだろうか。当時はそんなにステンドの工房も多くはないと思うので。 またその後も、1979年と2008年に修復が入っている。
小川三知がオリジナルの制作者だったら面白いな、と少しだけ思ったが、どうなのだろうか。制作された1917年は小川三知が最もステンドグラスの制作に取り組んでいた時期であり、時代的には、なくはない。
ポーハタン号は、サイズのわりに全体的にガラスの割りが細かく、モザイク画のようなステンドグラスだ。
ケイムの線が、全体的に有機的なのが良い。完全に直線なのは上下左右の帯の部分だけで、あとは統一感のある緩やかな線が使われている。
縦横に、有り得ないほど太い桟が入っているが、これは気になるような、気にならないような感じ...。これだけ太いと気になるのが普通かと思いきや、ここまでだと逆に太すぎて気にならない、というのもある。
全体で見るとガラスの色味が素朴で穏やかでありながらも、近付くと驚くほどキラキラと光り輝いているのがとても印象的だ。また、空に紫、海に緑を使っているため、独特の世界観がある印象的なステンドグラスに仕上がっている。
最後に、この階段踊り場のクリアのステンドグラス。この建物の外観として重要な意匠なわけだが、見事に役目を果たしている。
大胆でいて退屈な所がなく、それでいて奇抜過ぎず、建物に良くマッチしている。沢山の丸が建物の外観に良い感じのアクセントを加えていおり、そこがとてもナイスな部分だ。
クリアのガラスだけを使っているが、完全なクリアと柄のあるクリアの使い分けも良い。絶妙なところをついてくるセンスの良さが光る、素敵なステンドグラスだ。
この横浜市開港記念会館、歴史があって趣が凄いのに、とてもオープンな雰囲気がある。勿論入場料もいらず気軽に行ける場所なので、横浜へ行った際には是非訪れてみては如何だろうか。