木内真太郎
先日訪問した旧家で触れたステンドグラスが、木内真太郎作ではないか、と思ったのをきっかけに、彼の事を少し掘り下げてみようと思った。
木内真太郎(1880-1968)は、大阪の裕福な家に生まれた。幼少期から、東京の知人宅に預けられたり、母親の逝去や父親の破産に見舞われたりと、色々あったようである。釜山へ移り住んだり、徴兵され戦地へ赴いたりもしている。
ステンドグラスに出会ったきっかけは、大阪で建築現場の監督をしていた26歳の頃。上司の勧めで宇野澤辰雄の元へ行ったことによる。これを機に東京へ移り住んで、本格的にステンドグラス制作の世界へ入っていった。
元々は簿記や工業系の学問を学んできた彼であったが、東京へ移ったのを機に絵画を学び、ステンドグラス制作においては、制作だけでなくデザインも行っていたようである。
数年を東京で過ごした後に大阪へ戻り、宇野澤組ステインド硝子製作所大阪出張所(後の玲光社)を設立し、都ホテル(京都市)、大阪市中央公会堂、萬翠荘(松山市)、岐阜県庁、旧本多忠次郎(岡崎市)などをはじめ、全国各地のステンドグラスの制作に携わった。
玲光社は現在も大阪で続いており、日本最古のステンドグラス工房として知られている。
木内真太郎は、作家という訳ではなく、職人肌な感じもしない。ステンドグラス関係者の間でさえも、そんなに知られた存在ではない。それは、宇野澤の名に隠れて名前が前面に出ていないからであったり、宇野澤系のパネルであっても、デザインしたのが誰なのかはっきりしていないから、という理由が大きいと思う。だが、初期の日本ステンドグラス界の礎を築いた人物であることは間違いないだろう。
そんな彼のステンドグラスは、あまりこれと言った特徴や傾向がない。小川三知ほどデザイン性は高くなく、凡庸なステンドグラスも多い。ただ、キラリと光る素晴らしいパネルも数多くある。勝手な想像ではあるが、一つ一つの作品に対して、その都度デザインを0から考えて、全力でデザインから制作まで取り組んでいたのではないだろうか。彼の作品を見ていると、そんな風に思えてくる。
そんな彼の作品の中から、幾つかを以下にご紹介する。
旧内田定槌邸(外交官の家)
横浜の山手にある、通称「外交官の家」。元々は、内田定槌(うちださだつち)という明治時代の外交官の邸宅として、東京都の渋谷区に建てられたもの。
玄関ホールのステンドグラス。
左右に同じデザインのステンドが2枚ある。こちらはもう一枚の方。階段からの日を受けて。
中央のピンクのガラスがこのパネルの主役であり、どうしても目が行くところ。時代背景を考えると、このガラスはとても珍しい。
そしてピンクのガラスを引き立てるような、葉の緑やアンバーのガラス使いも、また美しい。
厚めに盛られた美しい全面ハンダは、あと何百年も持ちそうなくらいの堅牢性を示している。
それぞれのパネルは、ほぼシンメトリーだが、一部だけ非対称になっている。
モチーフは花と葉のようなものだが、かなり大胆に抽象化されており、すっきりと上品ながら、なにこれ?という不思議さが漂った、面白い意匠が施されている。
食堂のステンドグラス。薔薇を極限まで抽象化しているデザイン。良く見ると面白い。
大客間のステンドグラス
大阪市中央公会堂
大正の初期に作られた、この大阪市中央公会堂。そのレンガと石で造られた立派な佇まいは、外観だけでない。内部もしっかりとした造りになっている。
大きなステンドグラスだが、半分は布で覆われている。
大きな円に沿って鎮座する2匹の鳳凰は、左右対称に描かれていて収まりが良い。
そして、クリアの型ガラスをバックに暖色系の色で上手くまとめられており、安定感がある。
中央のメインモチーフの左右にあるステンドグラス。土偶のような、草花を抽象化したような、不思議な模様が描かれている。
萬翠荘
愛媛県松山市にある、旧久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵別邸、通称「萬翠荘」。四国のみならず、全国的にも有名な大正時代の洋館である。
正面入口を入って直ぐのところにある、欄間のステンドグラス。
粗密のバランスや線の細かな使い方が素晴らしい。
同じアールヌーボー調のデザインでも、センスのない人が描いたものは間延びして退屈な印象を受けるが、これは違う。
階段のステンドグラス。
謁見の間のステンドグラス。欄間にハマっている。これ以外も、この建物の殆どのステンドグラスは欄間に入っている。
階段を上がって2階正面の2枚。これも亜シンメトリーで悪くない。
これら以外にも、計28枚のステンドグラスが入っている。萬翠荘は、日本でも有数の古い日本産ステンドグラスが沢山入った建物である。
木内真太郎の作品
以前に愛知の明治村にて、彼の作品展があった際に撮ったもの。
大きな円のガラスには絵付けが施されていて、独特の雰囲気を漂わせている。
これまたいい感じ。まるでシャガールの画のよう。
渋い色使いのパネル。
こちらも絵付けののパネル。ピカソ風。
今回紹介したものは、木内真太郎が遺したと言われるステンドグラスのうち、ごく一部である。これら以外には、愛知県岡崎市の旧本多忠次邸や大阪の旧鴻池本店などが有名どころだろうか。
所有している訳ではないが、上の3冊には、木内真太郎の作品が多く含まれている(と思う...)。特に一番左の本などは、表紙が既に木内真太郎の作品であり、過去に読んだことがあるが、非常に素晴らしかった覚えがある。高価であり、かつもう本屋では売られていないが残念ではあるが...。
彼の事をもっと知りたい方は、ぜひ手に取ってみては如何だろうか。