建築家フランク・ロイド・ライト
本題であるステンドグラスの考察の前に、先ずは彼の建築家としての位置付けとその生涯を、簡単に記す。
フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。
アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなす事もある)。
フランク・ロイド・ライトとはどのような人物だったのか。
彼は大学を二十歳で中退してから亡くなるまで、実に70年の長きに渡り、建築家として生きた。その建築家人生は、大きく3つに区切って語られることが多い。
初期 - 才能の開花 第一期黄金時代 1887(20歳) - 1909(42歳)
生まれ故郷のウィスコンシン州を離れ、シカゴで本格的に建築家としてのキャリアをスタートさせたライトは、幸運にも、後にアメリカ建築の三大巨匠の一人と呼ばれるルイス・サリヴァンの設計事務所で働く機会を得る。この、生涯に渡って師と仰ぐサリヴァンとの縁がなかったら、ライトのキャリアは全く違ったものになったことだろう。
そこで住宅設計の依頼を一手に引き受けていたライトは、次々と住宅作品を発表していく。その多くは、プレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)と呼ばれる、建物内外の水平線を強調し、自然との融合を目指した独自の建築様式であった。サリヴァンの事務所で7年ほど過ごした後に、独立して自身の建築事務所を構えたライトは、更に精力的に仕事をこなしていき、一躍売れっ子建築家となったのだった。
しかし、とある住宅の施工主の婦人と恋仲となりヨーロッパに駆け落ちすることにより、この黄金時代に思わぬ形でピリオドが打たれてしまう。それは、夫人と6人の子供たちを残してのことであった。
なお、ライトがデザインしたステンドグラスは、実はほとんどがこの時期のものである。それまでは主に教会建築に使われていたステンドグラスが、ライトが注目されることによって住宅に取り付けられることがより一般的になった。そんな、ステンドグラスが生かされる領域を広げたことは、ライトの大きな功績と言える。
中期 - 地に墜ちた名声 暗黒時代 1911(44歳) - 1932(65歳)
ヨーロッパから帰国したライトに、世間は冷たい目を向けた。以前の名声を取り戻すことは出来ず、仕事は激減。重ねて、恋仲の婦人とその子供二人、ライトの弟子達4人が、ライトの家の使用人に斧で惨殺されるという信じられないような悲劇に見舞われてしまう。失意の中、更にマスコミから不徳の代償とのバッシングも受けたライトは、この頃どのような気持ちで日々を過ごしたのだろうか。それは、あまりにも想像に余りある。
この時期は目立った業績が少なく、ライト不毛の時代とも言える。
ちなみに、帝国ホテルをはじめ、日本での幾つかの建築がライトにより設計されたのは全てこの時期。暗黒時代といっても、それなりに仕事はこなしていたライトなのであった。
後期 - 復活と更なる飛躍 第二期黄金時代 1932(65歳) - 1956(89歳)
徐々に名声を取り戻していったライトは、この晩年、世界で最も美しい住宅とも言われているカウフマン邸(落水壮)をはじめ、ジョンソンワックス社事務所棟やグッゲンハイム美術館など、次々に名作を生み出していった。それはまるで、不遇時代の鬱憤を晴らすかのようでもあり、長年熟成されてきた何かが萌芽し、開花したようでもあった。
一方でこの時期は、いかに手頃な価格で快適な住宅を提供できるかがライトにとって大きな課題でもあった。そこで彼は「ユーソニアン・ハウス」と名付けられた、新たな建設方式を考案。これは、分かり易く言えば、モダンで機能的でしかも低価格なプレファブ住宅であった。
振り返ると、ライトが駆け出しの頃には富裕層向けの装飾的な住宅が多く、そのためにステンドグラスもふんだんに使われた。しかしこの晩年期には、低コストのユーソニアン住宅追求したこともあり、一切ステンドグラスが使われることはなかったようである。
ライトがデザインしたステンドグラスの特徴
さて、やっと本題の、彼がデザインしたステンドグラスについてだ。その特徴と、なぜそれが人を惹きつけて止まないかを考察していく。
実はライト自身は、そんなにステンドグラスにこだわりがあった訳でも好きだった訳でもないようである。それは、初期にしかステンドグラスを建物に使っていないこと、晩年の住まいである彼の自宅ではステンドグラスを使っていないことからも窺い知れる。
それでも、現代において、ステンドグラスの一デザイン様式として取り上げられるからには、そこに人の心を惹きつけて止まない「何か」があるからなのだろう。
そんな、ライトがデザインしたステンドグラスの特徴を、具体的に挙げてみることにする。
ほぼ直線のみ
ライトがデザインしたステンドグラスで曲線が使われたパネルは、殆ど存在しない。わずかにある曲線を使ったパネルも、定規やコンパスで描けるような正円などの幾何学図形のみであり、。自由曲線は一切出てこない。
これは、師サリヴァンが自由曲線の達人であり、それを避け、用器画(定規・分度器・コンパスなどの製図器具を使用して幾何学的に描く技法)に徹したためと言われている。加えて、直線がメインの建築には、直線を用いたデザインが良く調和する、との考えもあったと推測できる。
ケイムの太さを巧みに変えてメリハリをつける。
ケイムの太さを大胆に変える。例えばこのパネルのように。ベースの5mmのケイムに大して倍の10mm、その倍の20mmといったように、とても思い切った使い方をしている。メリハリが凄い。
ケイムの太さだけではなく、黒い不透明のガラスを使い、太いケイムに見せるようなデザインも、たまに見られる。
すべて同じ太さのケイムで組まれたパネルも多くデザインしているが、太さを変えるときは思い切って変えている。
対称・非対称の絶妙なバランス
左右対称のデザインが多いが、たまにごく一部だけが非対称であったり、また完全に非対称のものもある。
いつもシンメトリーだよ、と見せかけて、たまにアシンメトリーなところがGoodだ。
繰り返し
同じ柄の、これでもかという程の繰り返しが、しばしば見られる。
これにより心地よいリズムが生まれ、印象が強まる。
十字T字の使い分け
直線と直線が垂直に出会う箇所で、十字にクロスさせたり、させずにT字にしたりの使い分けが絶妙である。シンプルでありながらも退屈さを感じさせない。
一癖ある
平凡で退屈な事が滅多にない。バランスがとれていながらも、どこか一癖のある印象深いデザイン。
主役を明確に
余白を効果的に使うことにより、主役を目立たせ、際立たせている。正に粗密の魔術師。
全くクリアのガラスを使う
多くの場合、テクスチャのない、素のクリアガラス(フロートガラス)をバックに使用している。
窓ガラスとして使われることが多かったこともあり、おそらく外の景色がきちんと見えるようにと考えたのだろう。
これにより、非常にすっきり爽やかに仕上がっている。
クリアガラスと色ガラスの対比
色ガラスは、色付きのキャセドラルやオパールセントグラスだけではなく、被せガラス、金箔ガラス、イリデッセントグラスなど、凝ったテクスチャのものが使われている。これらとクリアガラスの対比が、非常に効果的だ。ちなみに、被せガラスはドイツのものらしいので、ランバーツ社のものである可能性がある。
全体でバランスが良く、部分で見ても良い感じにまとまっている
上品で調和がとれていながらも、適度な緊張感のあるコンポジション。
なお、彼はデザイナーであり職人ではないため、実際の制作は別の職人に依頼しており、自身で制作することはなかったと推測される。そして職人のレベルもまちまちなため、それが作品に出ている。つくりが雑なものと精巧なものがあるのだ。
最後に
ライトは「デザインとは、自然の要素を純粋に幾何学的な表現手段によって抽象することである」と言ったそうだが、彼のデザインするステンドグラスは、幾何学的でありながらも、どこか温かみをもった不思議なかたちをしている。
植物などの自然界にあふれる形をヒントにして幾何学模様で再現するのがライトの一貫したデザインスタイルだったため、それを目にした人々の心や潜在意識がきっと「何か」を受け取り、そう感じているのだろう。
今はまだ、その断片しかわからないが、これからも、模倣や実制作を通じで、ライトのステンドの「謎」のようなものを、少しでも解き明かしていきたいと思う。