100年の歴史をもつこの建物は、旧内田信也・根津嘉一郎別邸として知られている。
少し前までは起雲閣と言う名で旅館として営業していたが、今は市の観光施設として一般公開されている。
1919年(大正8年)に内田信也の別邸として創建されたが、6年後の1925年には根津嘉一郎の手に渡った。そのタイミングで洋館が増築され、そこにステンドグラスが入れられた。
その後、1947年(昭和22年)には旅館経営者の桜井兵五郎が権利を取得し、「起雲閣」の名で旅館営業がされていたが、1999年に廃業。今は市の観光施設として一般公開されている。入場料は大人510円。
かつては「熱海の三大別荘」として、ここ起雲閣と陽和洞(岩崎別荘)、住友別荘が知られていたが、今日現存し、公開されているのはここ起雲閣のみである。
起雲閣は各部屋に名前がついている。先ずは、玉姫(たまひめ)という名の付いた部屋。ステンドグラスがあるサンルームとメインルームからなる。
ステンドがある部屋へ立ち入ると、下がモザイク風のタイル張りになっている。京都の泰山製陶所のものだそう。
サンルームのステンドグラス。
天井にもステンドグラスがびっしり。
天井中央部のステンド。中心部分に丸型のジュエルが使われている。
壁面のステンドグラスは、パイナップルのような面白い意匠。
クリア部分のガラスの形が凄い。そして地味に切子が使われている。
少し前に松本ステンドさんがクリーニングしたばかりなのだそう。天井のステンドグラスは裏側にホコリが溜まり易いだろうが、どうりで綺麗な訳だ。
割れを修復した痕跡あり。
これは何なのだろうか。白い部分は貝殻のような素材が使われているように見える。光が通った状態で見たかった。
こちらがメインルーム。中には入れず。日本の神社や寺に見られる建築的特徴や中国的装飾、アールデコ様式が全て盛り込まれている。
玉姫に隣接する玉渓(ぎょくけい)は、中世英国のチューダー様式の部屋。ヨーロッパの山荘をイメージして造られた。
かなり変わったデザイン。斜めの線は強度を出すためだろうか。割れの修復跡が10カ所以上は見られるが、そんなには気にならない。
柔らかな線が好印象。モチーフである草花に良く合っている。
色ガラスと透明ガラスのコントラストが綺麗。見る角度によって様々な表情を見せてくれる。あと、斜め45度の線の辻褄の合わせ方が面白い。
金剛(こんごう)は、小部屋と大部屋からなる迎賓の間。
奥が小部屋で手前が大部屋。その間にある間仕切りには左右に同じステンドグラスが入っている。
大部屋側からはこう見える。透明と不透明のコントラストが際立っている。
小部屋側から見るとこうなる。左上のクリア部分に、えぐれが超シビアな形のピースがある。間近で確認したわけではないが、これが割れずに残っているのが凄い。
ハート型が散りばめられているが、嫌味ではない。と言うか、気付かない人が殆どだろう。
ハンダは薄めの全面ハンダ。
見る角度に依って様々な表情を見せてくれる。
線が綺麗で色のバランスも良く、ガラスも綺麗。各モチーフを繋ぐ線の使い方も不自然さがなく、スッと入ってくる。建物にも調和している。
中に沢山のモチーフを盛り込み過ぎると散らかった印象になってしまいがちだが、亜シンメトリーの構図と工夫を凝らした帯により、上手く纏めている。
大部屋と通路の間にある中華風のステンドグラス。大部屋側から見たところ。
通路側から見るとこうなる。ケイムが透けるため、伸ばしのラインのケイムが反対側と違う箇所が多いのが分かる。経年劣化で取れたりするものではないので、なぜここまで違うのかが非常に謎だ。
なお、中央の柄で分かるように、左右のパネルは上下の向きが逆だ。これは単に、取り付け時に間違えただけだと思う...。修理の跡があると言うことは、取り外して再度付け直された訳で、その時に間違ったとしたら、罪深い...。
この2枚はまた別のパネル。こちらは上下の向きが揃っている。
同じオレンジのガラスでも色合いや透明度が違うものが組み合わさっているので、退屈にならず深みが出る。
帯の細いS字型のピースからも、攻めの姿勢が良く分かる。まあ、攻め過ぎて割れてしまっていて補修した形跡もあるけれど。四隅のケイムを3本重ねて太くしている意匠も面白い。
小部屋側の天井のステンドグラス(確か)。このステンドグラスは、Webで探しても殆ど出てこなかった、気付かれない可愛そうな奴。でも結構凝っている。光が入ってないのが残念なところ。
金剛に隣接するのがこのローマ風浴室。風呂と分かるように浴槽の写真も撮ったが、全てピンボケでボツになった。
先ずこちらは、脱衣所!?と浴室の間のもの。これも当時のものだろう。縁のガラスの形が金剛やこの後の浴室のステンドと似ている
浴室のステンドは、上下2枚ずつ・6セットで、上げ下げ窓になっている。全て同じデザイン。
一番ガラスが綺麗に見える角度。また、細いケイムが太いケイムの半分程になっているのが、ライトっぽくてGoodだ。
ケイムにペンキのようなものが塗られている。これは当時からだろうか。浴室であるが故の対策なのかもしれない。
帯の抽象的な細かい柄と、縦横の格子に沿って入る細長いピースが効果的で、このステンドはただモノではない、といった感じが醸し出されている。
このト音記号のようなものは一体何だろうか。
浴室のパネルは、中央上部のダイヤの中の草花?以外は、モチーフがかなり抽象化されていて、元ネタが良く分からない。それがいい。
どんな発想でこの図案に行きついたか、タイムマシーンで当時に遡って作者に問い詰めたくなる。
旅館時代のバースペースが、今は喫茶店になっている。時間がなかったので、外からのみ撮影。
このステンドは、ケイムの太さが一定ではなく、カットが不可能に近いピースがあるので、本物のステンドグラスではないと思われる。素材もガラスでないかもしれない。
和館の方の写真も1枚だけ。宙吹きで作られたガラスが揺らめいているのがわかる。
記録用の細部写真。
ステンドグラスは根津嘉一郎が建てた洋館にのみ入っており、1929~1932年の間に入れられたもの。宇野澤ステンドグラス製作所の手によるものだそうだが、デザイナーは外部の人間だと思われる。
どの建物のステンドも凝りに凝った作りをしていて、質・量ともに、今までに見た日本のどのステンドグラスにも負けていない。
恐らく予算無制限で発注されたであろうこれらのステンドは、何処から着想を得たのかわからないような、抽象的で複雑な図案が殆どであり、とても興味深い。ピース数が多いにも関わらず上手く纏まっており、デザイナーの技量の高さが伺える。
また、当時は今と比べて圧倒的に手に入るガラスの種類が少なかっただろうが、それを感じさせない。それは、同系統の色で統一することで調和を生み出したり、ビビッドな色をポイントでだけ使ったり、といったガラスの組み合わせが上手いからだろう。
明治の末期から昭和初期に掛けての時代は、日本におけるステンドグラスの創世記であると同時に、最盛期でもあった。その中でもこの起雲閣のステンドグラスは、旧渋沢家飛鳥山邸と並んで、銘品中の銘品と言える。
別記事で書いたが、この熱海・伊豆・箱根エリアには、この起雲閣以外にもステンドグラスの鑑賞スポットが点在している。東京からもそんなに遠くはないので、興味のある方は是非巡ってみて欲しい。