テオ・ファン・ドゥースブルフ
テオ・ファン・ドゥースブルフ(Theo van Doesburg 1883-1931)は、オランダ人の芸術家。19世紀末~20世紀初頭に、抽象芸術の分野で第一人者として活躍したこと、特にデ・ステイルの創設者・リーダーとして最も良く知られている。
作品は、絵画を基本として、建築、写真、インテリア、詩、小説、そしてステンドグラスまで多岐にわたる。
ピエト・モンドリアンらと共にデ・ステイル(De Stijl:英語でThe Styleの意)という名の雑誌を刊行・ムーブメントを起こし、そのリーダーとして、新造形主義・抽象絵画(非具象芸術)の普及に努めた。それは、造形を水平・垂直線と原色という基本要素のみで表現・構築するという、ミニマリズムの元祖と呼べるものであった。
Counter composition XIII, 1929
その後、絵画のみに止まらず建築などの空間芸術へ応用範囲を広げるために実用性を求めた結果、水平・垂直に加えて、斜線を要素として加えた、要素主義(エレメンタリズム)を唱えた。
だがそれを、キャンバスの上だけの世界を理想としていたモンドリアンは受け入れることができず、袂を分かつこととなった。
晩年、パリで「アプストラクシオン=クレアシオン(抽象=創造)(Abstraction-Creation)」の創立にモンドリアンと共に参加し、交流は復活したが、その直後に急逝。47歳の若さであった。
ドゥースブルフは、モンドリアンと比べて知名度は圧倒的に低い。それはもう、無名と言っても良いくらいに。ただ、それは日本だけで、海外ではそれなりに有名人の様だ。YouTubeに沢山の動画が上がっているのだ。
ではなぜ日本では無名なのか? その理由は、モンドリアンほど作品にインパクトがなかったこと、モンドリアンより後に生まれ、モンドリアンより先に亡くなってしまったこと、広い分野で活躍したため尖った代表作がないこと、名前が覚え辛いこと、辺りだと個人的には思う。
同じオランダ人の画家であるゴッホと生きた時代が重なっており、初期の作品はゴッホの影響をもろに受けている。彼自身が、そのゴッホを踏まえた上で、抽象へ突き進んでいったことが、非常に興味深い。
今日、作品自体の価値としては勿論ゴッホの方が比較にならない程高い訳であるが、考え方や商業デザインの礎を築いたという点では、ドゥースブルフの功績も、目に見えないところに十分あるのだろう。
A reconstruction of the dance hall/cinema, 1928
amazonで調べると、ドゥースブルフが書いた本が1冊だけ見つかった
旧版もあるが、これは先月出たばかりのホヤホヤ。
吉祥寺の本屋で少し立ち読みしてみたが、ドゥースブルフが描いた部分は30ページ程度。あとは、作品や日本人による解説など。
内容は、一読しただけではサッパリ入ってこないが、もしかしたら何か大事なことが書かれているのかもしれない。
テオ・ファン・ドゥースブルフとステンドグラス
ドゥースブルフは表現の手段として様々な手法を用いたが、デ・ステイルを結成した頃から、頻繁にステンドグラスのデザイン画や作品を残している。単純な線と色面で構成するのに適しているステンドグラスは、きっと彼の格好の表現方法だったのだろう。
手元に一冊のドゥースブルフの作品集があるが、1916年~1927年までの間に作られたステンドグラスが何点か載っている。
水平・垂直の線のみを使った作品が多いが、中には斜線や曲線、具象に近いものも、あったりする。
Dance II, 1917
Composition I, 1916
Composition with window with coloured glass III, 1917
Stained glass composition "Woman", 1917
Composition V, 1918
LARGE PASTORALE, 1921-1922
Stained glass composition "FORTUNAM SUAM QUISQUE PARAT", 1927
日本の公共の場にあるステンドグラスとしては、東京の神田にある学士会館という建物に入っているステンドグラスが、ドゥースブルフ風と言えるかもしれない。
ドゥースブルフ・スタイルのステンドグラス、実制作 - デザイン
実は、テオ・ファン・ドゥースブルフの存在は、今まで知らなかった。聞いたこともなかった。今回、ステンドグラス制作のご依頼を頂いたインテリアデザイナーさんがデザイン画を用意されていて、その時に初めて知ったのだ。
頂いたデザイン案を製図したのがこちら。
そして、何度かのやり取りを経て、実際にガラスを見て頂き、
決定したガラスのイメージがこちら。
次回、ステンドグラスの実制作に入っていく。