目白駅のそばにある小さな教会。目線の高さで超本格的な絵付けのステンドグラスを堪能できる。
ここまでしっかりと描き込まれたステンドグラスには、中々お目に掛かれない。
目白駅の近く、駅から目白通り沿いに歩いて5分程度の場所にある。住所は、東京都新宿区下落合。
この教会の宗派は、カトリックかプロテスタントかで言うとプロテスタントらしいのだが、このステンドの豪華さから言うと、カトリック寄りだと思われる(勝手な想像だが...)。
教会の名は「目白聖公会」だが、ステンドグラスの入っている建物は「聖シプリアン聖堂」という名がついている。1929(昭和4)年に建てられて、戦争を経ても変わることなくその姿を保っている貴重な建物。ステンドグラスは、1985年に、とある英国の教会の移転に際して取り外され、遠く海を渡ってこの目白の地に寄与されたものだそう。
ステンドグラス自体の制作年は1889年(明治22年)とのことなので、日本で最初に作られたステンドグラスよりも古い。作者は不明。
ステンドは勿論のこと、建物事体も質素で温かみがあり、とても素敵である。
誰もいない教会に西日が差し込んでいる。それにしても、教会はいつ来ても不思議な空間だ。大抵は、勝手に入れて誰もいない。。
先ずは、教会の左側にある4枚のステンドグラス。
聖アグネス
強めの風が吹いており、木漏れ日の変化によって目まぐるしくステンドの表情が変化する。
黄金(冠)
導きの星
巻物(1)
そして次に、右側の4枚。
巻物(2)
青と黄色の対比が素晴らしい。
乳香(香炉)
没薬(杯)
気泡がたっぷり。
ベタニアのマリア
ガラスが割れている。ただ、こういった古いステンドでは当たり前のように割れているので、そんなに気にならない。
ハンダの様子が良く分かる。現代の感覚で言えば雑で稚拙だが、当時とは道具が全く違うので仕方がない。
壁に張られた何枚かの絵の中の一つ。
正面中央の祭壇。
祭壇に向かって正反対側の2階にあるステンドグラス。1階から通じる階段が隠し扉!?の中にあるので、初めはどこから上るのかわからないと思う。
ヨセフ
聖母マリア
イエス/シメオン
アンナ
良く見ると普通の金属製サッシにステンドが入っている。ただ、ステンドの方に目が行くので、サッシは不思議と気にならない...。
これは結構凄いことだと思う。何てことのない普通のステンドが入っていたら、サッシが目立ってしまい、かなりちゃちに見えただろう。
子供の方がイエス。
補強線らしきものが横にしっかりと入っているが、特に違和感はない。
それにしても、相当に高度なデッサン力がなければ描けないレベルの絵付けである。
ステンドに興味をもってから、教会に行く機会が多くなった。勿論、宗教的な意味ではなく、ステンドだけが目当ててで。
どの教会も何とも言えない雰囲気で、昼過ぎに行くと人が居ることは殆どない。また、今回は大丈夫であったが、撮影NGなところがかなり多い。
訪問したのが良い時間帯だったのか、強風が吹く中で目まぐるしく移り変わる西日の光。それにより、祭壇に向かって左側のステンドがキラキラと光輝く中で、描かれた神々はより神聖な輝きを放っていた。
ステンドが最も輝くとき、ハンダの稚拙さや細部の割れなどは、もはや全く気にならない。100年以上前ということは、今みたいなハンダごてや絵付けの電気釜もない時代。それでも、いや、それだからこそ、悠久の時を超えて、職人の息遣いや筆先に込めた情熱まで伝わってくるようである。
左側のステンドが逆光ならば、右側は全光(順光)である。ステンドグラスというものは、透過した光で最も輝くため、いわゆる逆光が望ましい。だが、その逆の全光だと表面、ガラスやケイムの表情が良く見えるという利点がある。
絵付けは、超高度なデッサン力を伴って細部まで非常に丁寧に描きこまれており、特にバックの唐草模様と布の表現が秀逸だ。そして、どのステンドも色数が最小限に抑えてあり、建物と上手く調和した、落ち着いた飽きのこない色使いになっている。
本当にケイムの線が綺麗に整っている訳でもなくハンダも稚拙だが、それも味になっていて、全く問題にはならない。近くで見ると雑な感じで、離れてみると纏まっているというのは、全体感が出せている証拠である。
ケイムから白パテがはみ出てている箇所もあり、経年による汚れや割れもあるが、ステンドの価値を落としてはいない。グランジ感のあるステンドは本当に格好良い。
そして、2階のステンドグラス。
1階の8枚と同様に色数を抑えた上品で繊細な作りになっている。それでいて緻密さ、複雑さは1階のものを凌駕しており、間近で見ると圧倒されてしまう。
ガラスはベースの色が白・黄系(シルバーステイン含む)なのだが、それに対して絶妙な割合でビビッドな赤・青が使われており、強く視覚に訴えてくる。そして驚くほど細かく描きこまれた絵柄や文字、汚れ・かすれ・むらも全てが効果的に働き、良い方向へ作用しているのだ。その結果、名もなき職人が作った単なるステンドグラスに止まらず、優れた芸術作品へと見事に昇華している。
光の当たり具合も丁度良く、今がこのステンドが最も輝いている瞬間なんだなと、心からの実感を伴って思わせるほど。
あと、特筆すべきはケイムの使い方だ。これが抜群に上手い。仮にこのステンドの下絵があったとしたら、太い線をケイムに置き換えていると同時に、絵の具の線もケイムのような単調な線を敢えて使っている、という具合。それにより、ステンドグラス特有の、ケイムの線により生じてしまう絵としての「違和感」が殆ど感じられない。
教会という非日常な場所、そして優しい木漏れ日。謙虚な気持ちになって、何かがスッと心に入ってくる。
教会にあるステンドグラスと言うと、パリのノートルダム大聖堂やシャルトル大聖堂などの壮大過ぎるものが紹介されることが多い。だが、きっとこういった、目線で見れるような小さいなものも、探せばあるのだろう。
この聖シプリアン聖堂のステンドグラス。定期的に見に行きたいと思わせる、数少ないステンドである。ドキッとする、ゾクッとする。そんなステンドは殆ど日本には存在しないから。都心にあるのでいつでも見に行けるのが、また良い。