まだまだあります、村上隆の最新作です。
2015年だけでどんだけ描いてるんだか・・凄い量だ。。
シンプル
南無八幡大菩薩
2015年 アクリル、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
真っ白シロスケ
2015年 アクリル、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
君は空洞、僕も空洞
2015 年 アクリル、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
円相:シャングリラ
2015年 アクリル、金箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 180 × 180 cm 個人蔵 Courtesy of Galerie Perrotin
円相:アトランティス
2015年 アクリル、金箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 180 × 180 cm 個人蔵 Courtesy of Galerie Perrotin
金と銀を比べると、全く同じエンボス加工なことが分かります。。コピー品のようで、ちょっと興醒め。
ダブルフェイス:11 次元が 2 つ
2015年 アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 300 × 468.8 cm
円相:時空を捩じ曲げ、隣にいる
2015年 アクリル、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
円相:隣にいる
2015年 アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
円相:ブラックホール
2015年 アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント170 ×144.7 cm
円相:ワープ
2015年 アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
円相:ポワンカレ予想
2015年 アクリル、金箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 170 ×144.7 cm
瓢箪に、宇宙を詰めよ
2015年 アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 190 ×148.5 cm
富を乞う者、走るべからず
2015年 アクリル、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント 149.5 ×116 cm
見返り、来迎図
見返り、来迎図(制作中)
2015年 アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、板にマウント 300 × 400 cm
まだ製作途中なんですね。
村上隆のスーパーフラット・コレクション
実は、この五百羅漢図展と並行して横浜美術館でも村上隆の展示があったんですよね。
「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで― 」と題されたその展覧会は、村上隆自身の作品ではなく、彼の現代美術を中心とするコレクションの展示ということでした。
ちょっと見に行けなかったのですが、開場での挨拶文が興味深かったので、テキストを載せたいと思います。
この度は「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭 白、魯山人からキーファーまで―」に来ていただき、あり がとうございます。
アーティストの村上隆です。そして、今回はコレクターの 村上隆です。そして、時に画商として、映像作家として、 企業家として、いろんな形での表現活動をしているもの です。まぁ、日本国内的に言えば、大変いかがわしい人 間であります。まぁ、世界どこでもいかがわしいかもですな。 ははは。アーティストは、黙って、アート作品造ってりゃい いんだよ、的な声が聞こえてきそうで怖いです。
しかし、こういういろんな事に手を染めているのには一応 自分なりに筋を通して、活動しているつもりなのです。そ の筋とはなにかといえば、「芸術とは何か?」という疑問 に対して、あまりにも愚直に付き合ってきた結果、あれも これもに手を出してきたというわけなのです。
体験、体感しないと理解できない、頭の悪さが、そういう 生き方を必然的にしてしまったということでもあります。
まぁ、自分は「アホ」ですよね。天然の「アホ」。賢けりゃ、 その問いに解析結果が弾き出され、コレコレこういうこと でありますな、ふむふむ。。。と、物事の構造が理解でき 次の人生の問いに向かって前進できたであろうに。。。宇 宙や数学の謎、つまりこの世の成り立ちの不思議に向か って突貫できたであろうに。。。 しかし、私はこの世を知りたいがために、その理解をする ためのレンズを「芸術」とし、こだわってきているのです。 そして、その問いかけも、あまりにも卑近、俗っぽい、低レベルなところから始まっています。
まず、、、、芸術はなんで高額で取引されるのか?
それから、、、、古いものはなぜ、高額になってゆくのか?
古くて、かつ、芸術的に高い価値の持つものとは何か?
有名な名物の古いものと、無名のものとの間にある差と は何か?
芸術における良し悪しとは何に起因しているのか?
価値に個人的な思い入れは関係あるのか?
国によって、価値の変動はあるのか?
画商ってどういう商いを行うのか?
コレクションを集めてゆくとはどういうことなのか?
美術館とはなぜ出来たのか?
人はなぜ、芸術を鑑賞せねばならないのか? 等など。
子供のように「なぜなに」を繰り返し、実体験し、主に失敗したり騙されたり、金をすってしまったり。。。 そういうふうにあっちゃこっちゃでボコボコになりながら、それらの疑問への答えを自分なりに探してきました。そして、その 過程の一つが、このコレクションたちなのです。
今の日本は相続税とかそういう部分でコレクションをするの に不利な国です。台湾とか、香港とか、アートコレクションに 有利と聞いてます。だから、そういう有利な国へアートコレク ションは羽ばたいてゆくでしょう。日本には良い芸術は何も 残らないんです。残念ながら。
コレクションには罪はない。
でも、集めた僕に罪はある。
いつの日か、これらの作品たちが、僕の会社、カイカイキキ の倉庫を離れて、より多くの鑑賞者の目に触れる場へ、羽 ばたいてゆくのが、僕の願いだったりもします。
ほんのひととき、僕が、芸術を理解する「試金石」として集め た作品を見ていただいて、ああ、この時代の芸術の流行り はこんな感じだったよね~、とか、いや、こいつ趣味悪いわ ~、とか、ぐわ~! 感動した! と涙する、とか、そういう激 情に触れてくれたら、展覧会を開催した意味もあるよなぁ~ と思います。
最後に、この展覧会は、横浜美術館の館長の逢坂恵理子 さんが居るから成立しました。
まず、僕が逢坂さんのキュレーター時代のある展覧会、第 29 回今日の作家展「視えない現実」(横浜市民ギャラリー、 1993)がとても好きだったから。そして、その展覧会は参加 している各アーティストのインスピレーションを完全に開放す ることに成功していて本当に素晴らしかったのです。若い僕 に、日本の現代美術の大きな可能性を示唆してくれた。で も、その展覧会は、国際的な場では、あんまし有名じゃなか った。でもでも、あの展覧会は、自分がその後観てきた展覧 会の中でもベスト 3 に入る凄く良い展覧会でした。その人に、 僕の生きてる間に一緒に展覧会をやって欲しかったんです。
で、まとめ。「芸術とは何か?」
アートって、芸術って、なんだろう?と思うと、やっぱ、1 人の 人間が生きてきた社会、人間関係、時代の中で育まれたモ ノの文化の結晶なんです。だから、僕は逢坂さんと出会った この時代をこうして結晶化出来ることを大変嬉しく思っとり ます。
ということで、是非、この展覧会で 2016 年、初春の今の芸 術とは何か? を、一緒に考えていただけたらと思います。そして、リアクションもあると嬉しいなぁ~。なんかいいアイディアあったら教えて下さいね。 よろしく~!
村上 隆
最後のくだりなんかは、村上隆らしくない感じですね。どうしちゃったんでしょう。。
さて、今回はここまでで。次回がやっと最終回です!